第13回 境内アート小布施×苗市 を終えて

2016.04.19 Tuesday


先週末
今年で13回目となる境内アート小布施×苗市があった

長野県の小さな町のお寺で開催されるイベント
ここ数年毎年参加させてもらっている

僕は境内でライブペイントをした
ただただ楽しかった
夢のような二日間だった

お寺の境内でアーティストが展示やパフォーマンスを繰り広げ
クラフト作家たちが森の中で手づくり作品を売る
フードの出店者たちはこだわりの食事を提供してくれる

みんな尖った個性を持っているのに
すべてが一体となって
柔らかい空気に包まれて
穏やかな時間が流れる

それぞれがやりたいこと
すべきことをして
酒をのみ
お寺で寝る

それだけ
それが最高に楽しい

こんなの他に無い





イベント開始前の本堂前


山門で門脇篤さんがパフォーマンスをしている様子
本堂前でラップ★インクルージョン↓のライブもあった


描いている途中


ひとまず完成 二日目は風雨のため道場の中へ


まつりのあと
司会の二人 最高だった
 

【2016/4/16(土)・17(日)】 第13回 境内アート小布施×苗市

2016.04.04 Monday

長野県の小布施という町のお寺で行われる境内アートというイベント。
縁があって、ここ数年、毎年参加させてもらっていますが、今回もでます。
ライブペイントします。


イベントの概要は↓

境内アート小布施×苗市
http://keidai-art.com



【会場】
信州小布施「陽光山 玄照寺」
http://www.gensyoji.jp

長野県上高井郡小布施町大島90
(地図:https://goo.gl/maps/SEUuh

【会期】
2016年
4月16日(土)10時〜16時
4月17日(日)9時〜15時30分 雨天開催
 

さいごの日

2016.03.30 Wednesday

ああそうか と思った
娘が言った
明日は保育園最後の日なのだと

これは感慨深い
五年間の保育園生活の終わり
五年前といえば
2011年3月 東日本大震災
その翌月
2011年4月 1歳の娘は保育園に入園した
あれから五年
長いようで短いという
ありきたりな言葉で表現してしまえば
すべてを飛び越えてしまうけれど
とても密度の高い時間を
娘は過ごせたのではないかと思う

娘だけでなくその同級生を含めて
今の姿を見るとみんなが成長したなと思える
子供の成長は当たり前かもしれないけれども
その当たり前は本当に面白いし素晴らしいことで
かけがえのないことでもある

卒園式はすでに終わっている
まさに3.11に開かれた卒園式
別れを理解してのことか
子供ならではの感受性の高さによるものか
成長の証でもあるだろう
子供たちは驚くほどたくさん泣いていた
しかしそれは本当の別れではなかったわけで
明日
本当の「さようなら」をはじめて知る
6歳の娘はそれをどうとらえ
何を思うのだろうか
 

いごのいご

2016.03.09 Wednesday

今朝家をでるとき
今日は早く帰ってくるかと娘に聞かれた
何かと思えば囲碁を打ちたいという
早く仕事終わったらやろうと答えた
結果的に仕事が終わったのは21時過ぎ
娘が起きている時間には間に合わない
今日は囲碁を打つことはできないな
そんなことを思いながら
帰宅時の電車
スマホでニュースを見た
囲碁のニュース
コンピュータがトッププロを破った
GoogleのAlphaGoがイ・セドルに勝ったという
まだ五局中の一局目が終わったに過ぎない
それでもこれは衝撃的なニュースだ
おそらく囲碁界の内側にいる人たちは
僕よりもっと衝撃を受けているだろう
あと10年はかかるだろうといわれていた
そんな場面に今日突然立ち会うことになったわけだから
コンピューターと人間は別物
そんなことは皆わかっている
だからこれからも囲碁を打つ人は変わらない
趣味で打つ人の楽しさは変わらないし
プロ棋士の素晴らしい対局はこれからも繰り返されるはずだ
ただ今回の出来事でひとつだけ
確実に変わることがある
最強という言葉
この言葉の意味が変わる
最強を求めるということの価値が変わる
このことによってプロのあり方は変わるのではないか
強さを求めて道を極めようとする姿勢
それ自体は変わらないかもしれないけれど
その質が問われるようになると思う
そして囲碁界が面白くなるはずだと思っている
これからのことが楽しみだ
 

坂トン

2016.03.06 Sunday

家の近く
新しい高速道路・ジャンクションの整備のため
工事が激しさを増している
この地域で暮らしはじめて5年ちょっと
景色がどんどん変わってゆく
その変化は日に日にダイナミックになってゆく
そんな景色のなかで存在感を放つ場所がある
高速道路をくぐり抜けるトンネル
出入り口が坂になっている
だからだろう
そのトンネルを「坂トン」というらしい
そう呼ばれているのを聞いたことはない
「坂トンは通行止めになります」
工事の看板にそう書かれていたのを見た
きっとそう呼ばれているのだろう
毎日坂トンを通り
歩いて駅へ向かう
街そして駅へ辿り着くためには
高速道路を越えなければならない
坂トンをくぐらなければならない
坂トンは狭い
幅が狭い
車も一方通行だが通ることができる
車が一台通ると人とすらすれ違えない
そのくらい狭い箇所がある
自転車やバイクともぶつかりそうになる
人と車が譲り合い
時に怒鳴り合う
人々の日常がここで交差する
ここは
この地域と街とを繋ぐ希望のような場所だろうか
いや街への道を遮るものの象徴だろうか
どちらにせよ
地域とは切っても切り離せない存在
それが坂トンだった
坂トンの隣に新しいトンネルができたようだ
明日からは新しいトンネルを通ることになる
これまでの坂トンは使われなくなる
トンネルに思い入れなどはないが
これまで日常とともにあった
永遠に続くのではないかと思わせるような景色
それが消えてゆくというのは寂しいものだ



 

自転車のおじさん

2016.03.03 Thursday

朝の通勤時
歩道を歩いていた
前方からきた自転車のおじさんが
スピードを落とさず
僕の横をすり抜けていった
すり抜ける瞬間僕の鞄にぶつかった
振り返ると目に飛び込んできたのは
バランスを崩した自転車が倒れる姿
スローモーションに見えた
おじさんは車道に転げる
ゆっくりと起き上がるおじさん
「大丈夫ですか?」
声をかけるも返事がない
少しふらつきながら
自転車を起こそうとしている
僕は何もできないと思いつつ近づきながら
もう一度声をかけてみる
「大丈夫ですか?」
おじさんは僕のほうを振り向き
僕の目を見て言った
「大丈夫」
ひとこと言ってすぐに自転車に乗り
去っていった
大丈夫と言ったおじさんの
すごく寂しそうな目が忘れられない

ある休日

2016.02.28 Sunday

コーヒーを淹れ水筒へ
麦茶を冷蔵庫からだし水筒へ
コンビニでおにぎりとサンドイッチを買い
車で公園へ
公園の駐車場
車の後席を倒し平らにして
そこに小さなテーブルをだし
子供たちと昼食をとる
海の見える公園
食事を終えた子供たち
すべり台をひたすら滑る
それから
夢の国のすぐそばの公園へ
煙を上げる火山と恐怖のホテルを見上げ
またすべり台
ひたすらすべり台
そんな休日
 

コート不要論

2016.02.24 Wednesday

通勤にコートはいらない
ここ数年実践し
すでに確信に変わっている持論
もちろん無条件ではない
スーツを着て首都圏で電車通勤
この条件であればコートは不要
寒いなかを歩く
歩けばすぐに暖かくなる
駅に着く
電車に乗ればすぐに暑くなる
下手をすれば汗だくになる
脱いだコートは邪魔な荷物になる
外に出てすぐ歩きはじめは確かに寒い
しかし無理な寒さなんてそうそうない
僕の家は駅まで歩いて20分
寒いのはせいぜい最初の10分
あとは寒さを忘れる
駅まで距離が遠ければより暖まる
近ければ少し我慢すればいい
コートなんていらない
なんのためにコートはあるのか
コートを買うお金で別の何かを買おう
イカとペンキのゲームをするために白いゲーム機を買うか
壮大なSF映画のDVDいやBlu-rayボックスを買うか
とびきり音の良いイヤホンを買おうか
スマホを新しくするのもいいかもしれない
しかし間違っても買ってはいけないものがある
それは通勤用の自転車
通勤のためという理由で自転車を買うのは避けたい
ノーコート通勤の最大の敵それは風
風が強い日はちょっと辛い
風は寒いのではなく冷たいのだ
冷たい風はいとも簡単にネクタイをすり抜け
容赦なく薄着の胸や腹を狙い
冷えきった空気を送りこむ
寒いことには耐えられても冷たいのは耐え難い
自転車で走るということ
それは常に風を浴びるということ
自転車を買うと更に暖かいコートが欲しくなる
物欲の連鎖
そしてどれだけモコモコしたコートを着ても
寒いことに変わりはない
いや冷たい
もし暖かいコートがあったとしても
その先の駅で待つのは
寒いのに汗だくという地獄
あなたに逃げ場はない
冷たい風は自転車のペダルを漕ぐスピードにあわせて
絶え間なくぶつかってくる
躊躇なく懐に飛び込んでくる
自転車に乗っている限り
冷たい風から逃げることはできない
そして冬が
通勤が
嫌になる

ラップをつくること

2016.02.22 Monday

ポエトリーリーディングっぽいラップ
ここしばらくそんなのばかり聴いている
この影響だろう
最近6歳になった娘はたまにラップを作るようになった
ラップといっても韻を踏んだりはほぼしない
彼女はラップをお話しするように歌うことと理解している
早口で喋っているだけのようにも聴こえる
たまに「ヘイ!」とか言う
そんなラップ風のなにか
なかなか味わい深い
それは確かな創作行為
何を表現しても構わない
簡単で間違いの無い創作行為
大人になるといろいろ考えてしまって
自然に浮かんできた言葉を
ただ並べ口にするのが難しくなる
子供にはそれができる
それが聴いている者に驚き
そして気づきを与える
子供の表現は恐ろしく強い
子供の表現に正面から向き合うと
表面上はブレまくっているようでいて
芯がまったくブレていないことに気づく
その在り方こそがメッセージであり
そのままストレートに心に突き刺さってくる
この感覚は本当に面白い
という親馬鹿のつぶやき

「二人の放課後 囲碁ライフ ‐妻は五年で初段になった‐」という本

2015.10.15 Thursday

いい本がある。
囲碁の本。

はじめに言っておくと、宣伝しようと思っている。

タイトルに「妻は五年で初段になった」とあるが、もちろん僕の妻の話ではない。

二人の放課後 囲碁ライフ―妻は五年で初段になった
 

帯のコメント、「有段者のご主人とその奥様に読んでいただきたい一冊です。」…なんという敷居の高さ(笑)!!

このような囲碁関連の本を手に取る可能性があるであろう、囲碁好きな方々。
そこからさらに有段者で、かつ囲碁を打たない奥さんの存在がある、というかなり限定的な層をフィルタリング!!
なかなか挑戦的な試み…というわけではなく、内容については、そんなにターゲットを絞ったものではないので、安心して手にとってみていただければと思う。


囲碁関連の本といえば、入門書や詰碁の問題集、打碁集等の技術書がほとんどで、あとはプロが持論を語る本があるくらいじゃないだろうか。
この本は違う。全然違う。

奥さんが囲碁をはじめて、初段になるまでの様子を旦那さんの視点から綴ったものだ。
その旦那さんも、有段者ではあるが、プロとかそういうわけではない。
言ってしまえば、普通のおじさんだ。これが面白い。

技術書ではないといったものの、棋譜の解説はある。
ただそれは当然だがプロの素晴らしい対局の棋譜などではなく、奥さんが指導碁を受けた時のものだったりする。
棋譜にはプロの指導の内容、プロから見てのコメントが添えられている。
指導を受けた本人(奥さん)のコメントもあり興味深い。

指導者の視点、それぞれの段階(級位者〜初段)で指導を受ける視点があって、いろいろな見方ができる。

この本の楽しみ方としては、有段者の方が、どういった姿勢で奥さんと囲碁を一緒に楽しめるようになるか、という視点が基本なのだと思うが、これから囲碁をはじめようとする人、囲碁をはじめたばかりの人たちにとっても、たくさんの気づきをもたらす本だと思う。

読みやすい文体で、囲碁好きな方すべてにおすすめできる本になっている。


また、それぞれ違った趣味をもった夫婦が、少しずつひとつの趣味を共有していくという物語は、囲碁に限った話ではなく、とても普遍的なものだ。
定年を迎え、その先の人生をどう過ごすかと考えた時に、手にとってみて損はしない、そんな本でもある。



囲碁、夫婦、といったテーマの本なので、僕の知り合いで、ぜひ読みたいと思う人は少ないかもしれない。
それでも宣伝しているのは、よい本ということは前提として、義理の姉である三村芳織三段が監修しているというのがある。

普段、会うことは多いが、個人的に囲碁の指導等を受けたことはなく、本書の中ででてくる先生っぷりは不思議な感じ。
当たり前だが、プロはさすがだなと思う(笑)。


あと、大事な点はここ。
 


なんとびっくり、挿絵と裏表紙のイラストを僕が描いている。
(普段描いている絵と全然違うけど)



というわけで、これは本当に多くの方におすすめできる内容の本なので、よかったら手にとってみていただければと思います。
よろしくお願いします。


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